MEMBER 01
第二営業部/2011年入社
高橋 知也TOMOYA TAKAHASHI
機械専攻の知識と理路整然とした思考で活躍する、中堅営業社員。浜松貿易は商社だが、「ものづくり」に興味がある方にこそ来てほしいと語る。“世界”の認識が変わった
インドネシア駐在
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当初は想定外だった
“世界への挑戦”。
初めての海外出張は、入社して約半年の秋だった。実は入社するまで「海外で働く」自分が想像できなかった。もちろん海外拠点があることは承知していたし、そこで働いている先輩社員がいることも理解はしていたが、少なくとも遠い未来の話のように感じていたからだ。しかし現地では駐在員の出迎えがあり、また渡航慣れした機械メーカーのお客様と一緒だったこともあって、不安よりも新鮮な驚きや感動が大きかった。あっという間の3週間だった。02
入社5年目。
成長著しいインドネシアへ。
その後も年に1〜2回の頻度でインドやアメリカに出張する機会はあったが、入社5年目、ついに駐在の辞令が下ったのがインドネシアだった。インドネシアは浜松貿易にとって最初に海外進出を果たした地であり、現在でも最大の取引規模を誇る重要拠点だ。これまでは出張でも訪れたことがなかったが、若い人たちが多く、社会全体にみなぎる活気にすぐ魅了された。ただ、言葉も文化も宗教も異なる国である。現地には日本語や英語に堪能なスタッフがおり、またお客様の多くが日系企業ということもあって業務に支障が出ることはなかったが、当社の強みは現場の声に応える使いやすい設備を実現することである。自社にしろ他社にしろ、現地の人たちの言いたいことや本当の気持ちをなかなか理解できないことがもどかしく、また悔しくもあった。03
生粋の現地企業が
HAMABOを認めてくれた。
だから最初の1年はなるべく現地スタッフと食事に出かけ、普段の彼らの言葉に耳を傾けた。仕事中と違い、話題も会話量も豊富だ。回を重ねるごとに、彼らの考え方や感じ方もだんだんとわかるようになっていった。2年目にはお客様企業の現地社員ともインドネシア語で会話できるようになり、ついには現地の友人から結婚式に呼ばれるまでになった。そして3年目、日系ではないインドネシア企業から「タカハシさん、こんなのできないか」という相談を受けた。入念な打合せを経て無事に受注に結びついた時、やっと本当の意味でインドネシアに“HAMABO”を売ることができたと感じた。
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海外で得た知識と経験が
日本でのビジネスに生きる。
入社当初から海外志向の強い社員が多い浜松貿易にあって、自分は少し珍しい存在だったかもしれない。しかしインドネシアで築いた人脈と駐在経験は、限りなく遠く思えた“世界”との距離を縮め、提案の引き出しを大きく増やしてくれた。また、これまでは日本のものづくりを海外に輸出するのが当社の強みだと思っていたが、一歩離れた場所から見ることで、逆に日本の企業が学ぶべき点も多々あることに気付くことができたのも大きな収穫だった。次はこの駐在で得た知見を糧にして、日本のものづくりとともに世界に挑戦したい。それが3年の駐在期間を終えて帰国した、今の目標だ。
Q&A